■石屋主人日乗
ここは石屋の主人がプラモに関係あるコトやないコトを好き勝手に書き散らすページです。
以前の「ニュース」を改題。ニュースというと城プラモ界のイベントを残らず網羅するような印象になってしまいますが、そんなマメな事をやる気はサラサラないので。
突然ですが、鉄道模型用のアクセサリーパーツを発売致します。
鉄道関連は前からやってみたいと思っていたので、アオシマさんからDD51が出たことを契機に、1/45〜1/50クラスの情景作りに役立つアクセサリーを開発することにしました。
第一弾は「1/45 Oゲージ 石碑・鉄道省銘板セット」です。詳しくは
お店の下の方をご覧下さい。
●犬山城の増産について
おかげさまで犬山城専用エッチングパーツは再生産分が完売です m(_ _)m
でも大丈夫、こんなこともあろうかと、あらかじめ緊急増産の手配を済ませておいたのだ!
今回は2〜3年は戦える量を作りましたので、品切れでご迷惑をおかけする心配はないと思います。

今回の増産分から高欄の表現を変更しました。左が旧、右が新です。
真ん中の横棒は実物では貫ですから、柱より薄くなっています。従来はこれを段差で表現していましたが、実際よりも薄すぎ、また薄い部分が破損することがあって、歩留まり悪化の要因となっていました。
今回はこれを筋彫り表現に改めました。既に松本城などで採用している方法で、なかなか悪くないと思いますが如何でしょうか。

タケダ模型の支店の話を
以前に書きましたが、その店の包装紙を発掘、所在地が判明しました。大分市東津留1-5-5。現在はユニットハウス展示場になっている地点が該当すると思われます。
この機会にタケダ模型について覚えていることを書いておこうと思います。
まずは末広町にあった大分店の話。ここを初めて訪れたのは小学5年の頃、つまり1971年だと思います。店長の武田さんの印象は、変な言い方ですが、田宮の1/12メカニックみたいな感じの方でした。
不思議な雰囲気の音楽が流れていたのが印象に残っています。今にして思えば「はっぴいえんど」あたりが近いような気もしますが確証はありません。
当時の大分市街には他にも中央町のエサキ科学、上中前の新垣玩具などの専門店がありましたが、私は上中に入っても、なぜかタケダ模型にばかり通っていました。定期考査が終わったその足でタケダへ駆けつけ、新発売の田宮37mm砲を買ったことは今でもよく覚えています。

特別大図解、これがタケダ模型だ。
うろ覚えですが描いてみました。店内は大きく二つに分かれ、手前が店舗、奥が工作室になっていました。
@工作室。中央に大きな机、作りかけのラジコン飛行機。左の壁が在庫を置く棚で、タミヤの1/50日本機などがあった。
A商品棚。タミヤ1/35、バンダイ1/48、各社ミニスケールなどミリタリー、グンゼレベル1/72重爆、タミヤ1/50戦闘機、1/100ミニジェットなど。
B商品棚。ウォーターラインなど船。車やバイクは興味の対象外だったので記憶にないが、このへんにあったのかも。
C出窓的なスペースで、ここにも多少の商品があった。外から見えるような完成品の展示はなかったと思う。
D金網のかごで出来た三段ほどの小さな棚。グンゼレベルの100円戦闘機など廉価プラモはこの中。
E低いガラスケース。舶来品はこの中。エアフィックスの8t+88mm、ロトダイン、モノグラムのロンメルズロッドなど。
F武田さんの待機スペース。レジや塗料はこの周辺。
Gショーケース。タケダ模型には数百円単位のスタンプ制度があり、金券として使用できる他、武田さんが作った完成品と引き換えることもできた。そのための完成品がここに飾ってあった。アイテムはタミヤのアフリカ軍団四人組などが記憶に残る。
H低いガラスケース。バルサ、桧、スクリュー、プロペラなどの素材、部品、工具類はこのあたり。そういえば、当時としては清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで買った千円のピンバイスは今でも愛用している。
I全体的に左半分の記憶が薄いので、このへんがラジコン関連だったのかもしれない。
Jショーケース。エアフィックス1/72 He177の完成品は大きすぎて棚板に置けず、壁に立てかけてあった。エアブラシを使ったウエーブ迷彩が見事で、自分もいつかあんな風に塗りたいと思った。
K正確には入口がドアか引き戸かも思い出せない。やはり時間が経ちすぎている。
話を戻すと、津留店はこの大分店から派生したようでした。営業していたのはそれほど長い間ではなく、79年前後の1〜2年程度だと思います。津留店を撤収したのち、津留店の元店長が大分店に常駐し、武田さんの姿はお見掛けしなくなりました。この頃には既に店名が変わっていたかもしれませんが、記憶があやふやです。
その後の同店は、80年代の中頃あたりだったか、大分商業の近くに移転したのを目撃したことがありますが、いつしか姿を消してしまいました。
なお、武田さんの消息についてネットで検索したところ、どうやらゲームソフト開発の方面に進出なさったようです。

末広町のタケダ模型大分店跡。隣の自転車屋も昔からあったと思います。
左上の赤丸内に千切れた電線が写っているのが分かるでしょうか。これが当時はツインスターの電飾看板に繋がっていました。
これらの建物はつい最近まで健在でしたが、再開発の波にのまれ、とうとう消えてしまいました。
2016.2 追記 道を一本間違えていました。写真の建物は現存しています。そんな勘違いをするほど大きく様変わりしているというわけで m(_ _)m
赤村トロッコ油須原線というものがあるらしい、という情報が友人から届いたので、行ってきました。
平成筑豊鉄道赤駅の駅前から、国鉄未成線の跡地に軌間610mmの線路を敷いて、鉱山から譲り受けたトロッコを走らせています。観光用のトロッコ列車は各地で走っていますが、大抵は無蓋貨車などを改造したもので、このような正真正銘のトロッコに乗れる機会は貴重といえます。
片道2Km弱、往復で30分もかかりません。料金は300円。パズーとシータの気分を味わいたいカップルにお勧め。なお11月8日で今年の定期運行は終了、再開は来年の春だそうです。

機関車をジロジロ眺めていたら、フタを開けて蓄電池を見せて下さいました。
件の友人(福岡在住)から、来るなら泊めてやると提案があったので、お言葉に甘えて一泊しました。この男もマニアなので、プラモのコレクションを拝見したり楽しく過ごしました。人のコレクションを眺めるのは面白いですね。
驚いたのはエレール1/72のHe112が置いてあったこと。これは35年くらい前に友人が怪我で入院したとき、私が大分ポストホビーで買って、見舞いとして持参したもの。まさか再会の機会があろうとは。
翌日は筑肥線や西鉄の乗り残し区間を潰し、熊本経由で帰宅。いやあ楽しかったな。
●再版ニュース
洋白0.2mmのエッチングが上がってきたので販売の用意をしています。まずは松本城、おおすみ&ラムダロケットの準備が整いしだい店頭にアップします。この機会に是非ご来店下さい。
犬山城エクスペルテンは組説と組立見本の更新に時間がかかるため、来週くらいになります。今まで再販のたびにマイナーチェンジしていたので、初版との差分が無視できないレベルに達しており、この際だから最新の内容にアップデートしようと思います。今しばらくお待ち下さい。
ただし、「見りゃ分かるから組説なんぞ古くて構わん、さっさとエクスペルテンを寄越せ」という方がおられましたら対応しますので、まずはご連絡下さい。
いつのまにか格子セットMがだいぶ減ってるなあ。残りのシートを切り分けて袋詰めしなきゃ。
んん? こっ、これは!

こんなところに犬山城
エクスペルテンの軒瓦パーツが残ってた。忘れてた!

一方、こちらは高欄にダメージがあって売れない犬山城
スタンダード。3つあるので、このままでは1,250×3=3,750円の損害。
しかし、これに犬山城
ベーシックを同梱して、高欄はベーシックから使って下さい、という事にすれば、損害は800×3=2,400円で済みます。
ふうむ、これらを組み合わせると犬山城エクスペルテン相当品が3セットできるなあ。
よし、これはもう店には出さずに、ここだけの話として、せっかくだから一割くらい勉強して、パーッと売り払ってしまおう。
というわけで、犬山城エクスペルテン相当品1,600円を1,440円にて販売します。お一人様1点限り、早い者勝ち。お申し込みは通常商品と同様にメールにて。
なお、エクスペルテンの重版もただいま進行中です。遅くとも一か月以内には店頭に並ぶ予定ですので、お急ぎでない方はそちらをお待ち頂きますようお願い致します。
●おまけ
来年の大河ドラマが真田丸ということで、さっそく童友社から兜の新作が発表されるなど盛り上がりをみせています。
実は大分市にも真田幸村ゆかりの史跡があります。名馬真田栗毛の墓だそうです。
碇山の鳥居の脇に立札があり、登ってゆくと小さな墓石があります。碇山は豊肥線滝尾駅下車すぐ。

以下、現地の案内板より。
「名馬真田栗毛の墓
大阪(原文ママ)の陣で、豊臣方の武将として活躍した真田幸村の愛馬の墓です。名前と由緒が判る全国で珍しい馬の墓です。元和元年(1615)5月7日の最終決戦を記録した「大阪夏の陣屏風図」の中央に、
幸村が鹿角の兜をかぶって栗毛の馬に跨り松平忠直隊と激突する様子が描かれています。幸村が討死の後、忠直の愛馬となり越前(福井)で過ごしたのち、元和9年配流のとき豊後に伴われて来ました。津守館で没し忠直卿(一伯公)によって懇ろに葬られました。」
上の文中にもあるように、幸村と戦った忠直はのちに豊後に配流となり、このあたりに住んでいました。近くに居館跡、碇山の上には霊廟があります。
ああ、馬といえば以前住んでいた大田区の馬込には、梶原景季の愛馬磨墨の墓があったな。懐かしい。
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