■石屋主人日乗
ここは石屋の主人がプラモに関係あるコトやないコトを好き勝手に書き散らすページです。
以前の「ニュース」を改題。ニュースというと城プラモ界のイベントを残らず網羅するような印象になってしまいますが、そんなマメな事をやる気はサラサラないので。
40年ほど前、今津留あたりでプラモを売っていたお店について、かすかな記憶に基づいて書いてみました。

まずは国道197号と岩田学園の間あたりにあった小さな模型店。2ch「大分県の模型事情 その3」によるとアルパ模型店という名前だったらしい。
ショーケースにマッチボックス1/76ファイアフライの完成品を飾ってあったようです。例のジオラマベースが記憶にあります。
レベル1/144の米軍機4機セットを買ったのは多分ここでした。

1/144といえば、当時私が住んでいた高校の寮のそばに、初老のご夫婦が文具店を開きました。
住所でいうと大分市今津留3丁目10-3あたり。ストリートビューをみると現在は駐車場になっています。
ここにもプラモが置いてあり、クラウン1/144飛行機やレベルのA-20ハボックなどを買いました。
いま思い出したけど、近くには貸本屋もあって、カムイ伝とか借りて寮生で廻し読みしてた。懐かしい。
タケダの出店が大分市東津留1-5-5、中津留バス停前にできたのは以前に書いたとおり。
最後に、あいまいな記憶で自信がないが、舞鶴橋バス停のそばに本屋があって、窓側の中ほどにプラモのコーナーがあったと思います。
ここはバスから眺めただけで入ったことはありませんが、ハセガワ1/72B-17の箱絵が見えていたような気がします。
●おまけ

鶴崎のシバタ。大分市南鶴崎3丁目1-2。大分バス西町バス停前。
だいぶ前に廃業なさっていますが、今でも建物は残っています。

ホビーランド中津。中津市万田609。数年前にRCワールド宇佐に統合になったらしい。
●おしらせ
日本の古典プラモはどの程度海外で知られているのでしょうか。
問題はやはり日本語で、仮に興味を抱いた外人さんがいたとしても、言語障壁は英文和訳の比ではないでしょう。
敬愛してやまない日本のメーカーたちの業績を少しでも海外に紹介する助けになればと、このたび
英語版の考古学ページを立ち上げました。
第一弾はフジミ建築モデルか相原か悩みましたが、やはりサムライアーマーのインパクトは絶大だろうと考え、まずは相原の名将兜シリーズから始めることにしました。
●注意事項
私の英語を笑うの禁止! ダメ絶対! グーグル先生にも手伝ってもらったんだからねっ!

このところエレールの人形にハマってしまい、片っ端から仮組みしています。
今まで関心が無かったものが、実はなかなか隅に置けないと気づいて、宝の山でも掘り当てたような気分になっているのです。
見ている皆様もこう毎回では飽きるでしょうが、今しばらくお付き合い下さい。

今回は「ドイツ装甲擲弾兵」の三人組です。
将校の戦闘ポーズが珍しく、二名の兵がYストラップを外しているのも新鮮です。
野戦服を開襟で着用し、編上靴にゲートルを巻いたドイツ兵の人形など、当時はタミヤのケッテンクラートや初代メーベルワーゲンの付属品くらいでした。

このキットの完成品は1980年頃、笹塚えんどうの二階の一番奥にあったショーケースに、ロビーや人形改造コンテストの圓生師匠などと一緒に飾ってありました。
言うまでもなく、ロビーや圓生師匠は今でも語り草となる伝説的な作品です。近くのケースには、これまた伝説的なスクラッチザクもありました。
あの頃のえんどうはそういう場所だったのです。そこに飾られていることの意味を、当時の私は見抜くことができませんでした。

うーむ、しかしこれはどういう状況なんでしょうか。三人で戦車でもやっつけるのかな。
地雷の人は装備を省略して、できるだけ身軽になってもらいました。本来は突撃銃、水筒、ガスマスクが付属しています。
"Männer gegen Panzer"の描写に従うなら、ベルトも外した方がよいのですが。

拳銃や手榴弾、地雷の持ち手などは手首と一体成形で自然な雰囲気です。
●余談

「装甲擲弾兵」「戦闘親衛隊」の二点は持っていた筈なのに、積みプラモ一覧が不完全で、あるべき場所に保管されていませんでした。
たぶん膨大な積みのどこかに眠っているのでしょうが、こうなると捜索は事実上不可能で、再発見は偶然に頼る以外にない。
今回どうしても作ってみたかったので、結局またオクで買ってしまう羽目に。幸い比較的安価で譲って下さる方がいて助かりました。

フィギュア箱の中身は大体こんな感じのカオス状態なので、多少の登録ミスは仕方がないと諦めています。
●おまけ

ついでに1980年代初頭の模型店を再現しました。ヒヒヒ、若返るのう。これでメカコレがバンザイバンダイなら完璧だった。
●リンク
アイテム一覧と各アイテムへのリンクを用意しました。
地図を眺めているうちに泊ヶ内へ行きたいと思うようになった。
臼杵と津久見を隔てる長目半島の先端に位置しており、臼杵からの路線バスの終点でもあります。
片道約14キロ。しかも途中で60mの峠を越えなくてはなりません。まあジジイとママチャリのコンビでもギリギリ行けるか。
行くなら寒くなる前だと、先の祝日にでかけました。
いつものように臼杵駅の観光案内所で無料の自転車を借ります。

第一目標
スモレンスク 大泊、風成。

第二目標、坪江。

第三目標、柿の浦。ここまで1時間。これなら行ける。
画像は深浦トンネルを越えたあたりの風景。この堂々たる瓦屋根の連なりをご覧ください。これだからやめられない。
一部の瓦に漆喰が塗られています。これは私にとって郷愁を誘う大分の原風景なのです。

峠越えしんどい。清水の波止場では斜面に沿って民家が点在する。

臼杵湾まじリアス式。

峠からの展望は素晴らしい。はるか彼方に佐賀関の大煙突が見える。

臼杵から2時間。遂に私は泊ヶ内に来れたのだ。

船は出てゆく。

坂と石垣の町並み

わずかな平地も残さず利用する。

蔵の壁面。水切り瓦に玉石の壁が面白い。

玉石の壁は佐賀関や長目半島の他の地域では見ないのに、泊ヶ内ではあちこちにある。昔このあたりで活躍した棟梁の得意技だったのかも。
手前の大棟には大きな丸い瓦が使われています。こういう例は確か臼杵の江無田あたりでも見たことがある。

高低差のある変化に富んだ家並み。寄棟、切妻、入母屋と、まるで屋根の見本市。
問題は帰り道で、同じコースを戻るのはちょっと詰まらない。
三角コースを設定できるとよいのですが、それだと100mの山越えになるので間違いなく死にます。
あと、工事中の新しい深浦トンネルが今年の12月に竣工するので、そうなれば多少は訪れやすくなります。
●おまけ

これがその江無田の建物です。大棟が完全に一致。
このあたりの棟梁が材料と一緒に船で泊ヶ内まで行ったのかな。
法隆寺金堂壁画や金閣などの苦い教訓が活かされず、またしても貴重な文化財が灰燼に帰してしまった。何とも口惜しい。
長年にわたって復元に取り組んでこられた方々の無念は察するに余りある。

できれば在りし日の首里城を載せたいのですが、実は沖縄には行ったことがないので、画像はこれしかないのです。
フジミの守礼門、発売は1975年。一説には沖縄海洋博にあわせて企画されたとか。
なお近年の再販時には成形色が若干変わっています。
私にも多少は海部の血が入ってると思うんだ。だって北区飛鳥山博物館で丸木舟を見たとき血が騒いだもん(適当)。
というわけで、10月27日、亀塚古墳で行われた「海部のまつり2019」に行ってみました。

前方部から後円部を眺める。

古代の海部に扮した皆様の行列。

姫だ・・・海部の族長は姫がなるんだ(cv:松田洋治)

このように、古墳の造出では祭祀を行ったと言われています。

フリマも開催されました。規模は小さいが中身は侮りがたし。このマンガ二冊セットで200円。

この絵本が50円。583の雷鳥だ。
●おまけ
海つながりで何かプラモの話題がないかと思って探してきました。

エアフィックスのような老舗メーカーはたいへんな数の金型を持っているので、このように何十年も再販のないアイテムも出てきます。
モーレタニアやキャンベラ、クイーンエリザベス、フランスなどの大型客船に混じって、このドーバー海峡フェリーは小さな可愛らしいキットでした。
こういうのもたまには再販してあげて下さい。あと、小さい方のホバークラフトとか。
●余談
そういえば、キャンベラはフィアレスあたりとセットにしてフォークランド版を出せば、それなりに面白いと思うのですが。
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