■石屋主人日乗
ここは石屋の主人がプラモに関係あるコトやないコトを好き勝手に書き散らすページです。
以前の「ニュース」を改題。ニュースというと城プラモ界のイベントを残らず網羅するような印象になってしまいますが、そんなマメな事をやる気はサラサラないので。
先月のことですが、先輩のお姉様が亡くなりました。手練れの漫画読みでした。もう猟奇王の話で盛り上がることができないのは寂しい。

「初期のおとなクラブ」は30年くらい前にお姉様から頂いたものです。1985年8月発行。漫画は吾妻ひでお、ひさうちみちお、岡崎京子などが載っています。

堀内まり子は火野妖子の別名義です。親バレ断筆がなければ当時の漫画界に少なからぬ足跡を残したのではないかと悔やまれます。現在は堀内満里子の名前で同人活動をなさっているようです。

これも段ボール箱から出てきたので、40年ぶりくらいに再読しました。やはり佐藤史生のSFは良い。57歳で亡くなったのはつくづく残念です。
確か大学の合格発表を見に大分から東京へ出て、その帰りの退屈しのぎに買ったような覚えがあります。奇想天外コミックスには他にも名作がたくさんありましたね。
●おまけ

ちょっと何これ面白いじゃありませんか。
「また新手の戦闘美少女にごわすか」などと斜に構えていた自分が恥ずかしい。
先日発掘した
イルカのオールナイトニッポン最終回を録音したテープ
、無事に聞けました。アナログ侮りがたし。しかし今後の保存と活用を考えると、やはり音声ファイル化を推進しなくては。
さて、イルカのオールナイトニッポン最終回は1975年9月、ニッポン放送の第一スタジオに多くのファンを招き盛大に行われました。
ゲストはシュリークスで仲間だった山田パンダ、オールナイトニッポンの先輩であるガンバの伸ちゃんこと及川伸一、二部担当のドジタツこと田畑達志、イルカの旦那様のカメ吉君こと神部和夫、陣山レポート(後述)の犠牲者、ユイ音楽出版の陣山俊一など。イルカの「春」を山田パンダが歌う一幕もありました。
他にカッコマンと称する常連メンバーもいました。カッコマン1号は藤井ディレクター、2号はおかまの鈴木さん、3号が休石さんなる人物。
残念ながら正確な日付は分かりませんでした。ネットに9月26日という情報がありますが、26日は金曜なので辻褄が合いません。仮に9月いっぱい務めたのなら25日の木曜が最終となります。
なお各種資料で水曜一部となっているのは水曜の深夜という意味で、実際の放送日は日付をまたいだ木曜です。この点は後述のジングルからも明らかです。
以下、最終回の内容を参考に、当時の人気コーナーなどを列挙してみました。何しろ40年以上も昔のことなので、間違いもあるかもしれませんがご容赦下さい。
●本人歌唱のCM明けジングル
「オールナイトニ~ッポ~ン木曜日~」
●ジングル直後に入る一言
「セイパックには負けないのだ ガハハハハハ!」 セイパックとはセイヤング、パックインミュージックの略
「ハイわたしイルカです モアベターよ」 小森のおぱちゃまの物真似
「ハイこちらオールナイトニッポン、イルカです」
●バカヤローコーナー
リスナーのかわりに誰かを罵倒するコーナー。月光仮面の主題歌で始まる。
「憧れの男子が下ネタを連発して、純真な乙女心を傷つけた」など、大抵はしょうもない理由で怒られる。
「わしゃもうメラメラと怒ってきたぞ。よし、言うからな。おい○○、よく聞けよ、バカヤロー!」で締める。
●ごめんしてねのコーナー
上とは逆に、リスナーにかわって誰かに謝る。「ごめんしてね、これでいいかな?」で締める。
●カッコマン危機一髪
リクエストハガキを受け、カッコマンがスタジオからレコード室まで走って、制限時間内にレコードを探し出してスタジオに持ち帰り、放送しなくてはならない。
カッコマンが負けた場合はリスナーが賞品を貰える。
●真夜中のツッパリ大会
港のヨーコのカラオケに合わせて自作のパロをリスナーが演じる。
●陣山レポート
「ギンギンギラギラ夕日が沈む」のBGMで始まる。身近にいるギンバエを陣山さんに見立て、「うるさいので思わず叩いたら潰れて動かなくなった」など観察レポートを提出する。
●エンディング
「イルカは海に帰ります。ブクブク、バイバ~イ」 BGMは波の音とカモメの鳴き声。
●ふんどしのもと
イルカに限らず、当時のANNで使われていた謎の景品。正体は手拭いでした。
こちらのブログに貴重な画像があります。
●CMフィラー
これもANN全般の話ですが、いくつかのカセットから3種類の音楽を発掘しました。こういうのが懐かしい。
※参考文献

イルカ著「とんがらし」。初版は1975年9月に八曜社より刊行、画像は今回参考にした大和書房の文庫版。1983年5月発行。
●おまけ 暑いのでゾッとする写真を貼る

この非常階段めっちゃ怖い。たぶん腰が抜ける。確か大垣あたりで見かけた。大和の艦橋か、千と千尋の油屋か。

いつからカセットテープを聞かなくなったのだろう。
超兄貴のサントラをテープで聞いていた覚えがあるので、93年頃まではデッキが生きていたことになる。
確か下北沢南口商店街で買った安手の赤いステレオだった。あれはいつ壊れたのだろうか。まあ、おおむね25年は昔の話だ。

などと、
先日の
死蔵カセットのチェックから、期せずして自分史を振り返るイベントが発生してしまいました。
思い返せば、最初のラジカセは親父のお古、二代目がダイエーで買った新日本電気のやつ、下北沢の赤いステレオはたぶん三代目。その後はCDに移行したらしい。
そんなことを考えているうちに、懐かしいカセットの中身を久しぶりに聞いてみたくなり、とうとうラジカセまで買ってしまう有様。

古くなった安いカセットはリードテープのとこで切れると聞いていたので、最初の方を鉛筆で巻いてからラジカセにセットし、そっと再生ボタンを押すと・・・
いきなり1977年のジョーン・バエズが歌い始め、一気にあの頃へ引き戻されました。この当時はまだ高校の寮の三畳の個室にいた筈です。
10代の多感な時代に自分を作り上げたカケラの数々が、長年の沈黙を破って蘇るのを、しばし呆然と聞き入ってしまいました。

「日立ミュージックインハイフォニック、今週は来日アーティスト・アラカルトと題して・・・」
ぐわ、常木建男だ。確かこの人ニッポン放送で偉くなったんだよな。
あとオールナイトニッポンや、FMの「軽音楽をあなたに」など、今となっては曲目よりDJの声やBGMの方が懐かしい。

結局、二週間ほどかけて、約100本のカセットを全部聞いてしまいました。ラベルと中身が異なっている場合も多く、インデックスを書き直す作業も発生しました。
そのとき便利だったのがネットの検索で、知らない異人さんの歌でも、わずか数単語の歌詞で調べれば、たちどころに題名や歌手が分かってしまう。昔は想像もできなかったことですよ。
想像できなかったといえば、あの頃はこんな人生を送るなんて考えたこともなかったな(笑)。
●おまけ 古レコード整理

「ドクター・ジョンにデヴィッド・リンドレーだと? 誰このファンキーなひと」
「25年前のあなたです」
「まじか・・・orz」
男のロマンにも色々ありますよね、ドリルとかね。

トラスも間違いなくその眷属だと思うの。

そこで、私鉄や軌道線で見かけるテーパーのついた架線柱をNサイズで再現。
すごく精密なのはワールド工芸さんから出ているので、当店は簡単、安価、汎用を目指して作ろうと思います。
長く品切れが続いた窓枠セットもついでに再生産します。お楽しみに。
●おまけ 暑くて仕方がないので冬の写真を貼る その5

2010年1月、深浦駅にて。冬の五能線か、聞くだけで○○するわい。

冬の日本海は見たことのない色をしていました。

おまけ。秋田名物のアベックトーストだそうです。
戦車でロードムービーって押井守か何かですか? と思いましたが、荒唐無稽で意外と楽しめました。
というわけでT-34を作りたくなったので、ドラゴンの1940年型を掘り出してきました。
いわゆる高田ドラゴン、それも設計担当が五十嵐氏という逸品なので、そのうち作ろうと思って楽しみに取っておいたものです。

「IV号戦車を一個作る間にT-34なら三個は軽い」という伝説は本当でした。アッという間にここまで。

T-34の何が凄いって、この時期に500馬力のエンジンを積めるのは色々おかしい。おそロシア。
●おまけ 廃団地萌え

家がアジールなら、団地はアジールの詰め合わせなので、それが廃墟ともなると、もう揺るぎなき聖域と化すのであります。
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