■石屋主人日乗
ここは石屋の主人がプラモに関係あるコトやないコトを好き勝手に書き散らすページです。
以前の「ニュース」を改題。ニュースというと城プラモ界のイベントを残らず網羅するような印象になってしまいますが、そんなマメな事をやる気はサラサラないので。
写真もそろそろネタが尽きて参りました。

熱海の鈴木模型。入口は木の引き戸で懐かしい雰囲気。
この日は伊東まで足を伸ばしたのですが、考古学的な戦果はゼロでした。

以前に紹介したアワヤの近く、弘明寺商店街のアーケードの中にあった「かなりや」。
京急の向こう側の六ッ川にもキャプテンというお店があって、ハセガワの1/8クレルジェエンジンを買ったことがあります。

どこのお店だったか、写真を見ただけでは思い出せませんが、ヤマナカやトキワ科学と同じ日に撮影しているので北区あたりらしい。
そこで当時の電話帳と照合すると、滝野川4丁目の志村模型店と判明。
ここでは確かニチモの1/48ヘルダイバーを買いました。

東青梅のホビー孝文堂。青梅線の踏切のすぐそばにありました。
青梅鉄道公園の帰りに訪問したらしい。イマイの帆船を買ったような記憶があります。
このような出会った模型店と同様に、出会えなかった模型店もまた記憶に残ることがあります。
長野県で模型店巡りを実行したとき、屋代駅から1キロほど歩いたところで、白壁の町屋が並ぶ立派な旧市街にいきなり出くわして驚きました。千曲川の水運で栄えた町でしょう。
残念ながら肝心の模型店は既に廃業していましたが、予期せずに素晴らしい光景に巡り会えたことが印象に残っています。記録によると千曲市稲荷山荒町683の柳沢模型店です。
この当時は廃業したお店の情報が電話帳に多く残っており、こういうことはしばしばありました。最近ではそんな古いデータも削除されてしまったようです。
当該番地を探し出せなかったケースもあります。なかでも葛飾区堀切2-41-6のハラのことはよく覚えています。
歩いても歩いても41番地にたどり着けず、そのうちに日がすっかり暮れてしまって心細い思いをしました。
こういうときは、「あの模型店は酸っぱいに違いない」と捨て台詞を残しておうちに帰ります(意訳: フン、どうせ珍しい物なんか残っていないさ)。
Google mapを見ると、このあたりの町並みはまさしく迷路なので、さすがに仕方ないと思います。ただ、学校の近辺が怪しいと気がつけば何とかなったかもしれません。
「電話して聞け」と思うでしょうが、この当時だと、まずは公衆電話を探さないと。
東京から大分へ引っ越す二日前、旧友が多摩地区のホビーオフ廻りに招待してくれました。
カーナビにアドレスを入力して次々と巡ってゆく技法を目の当たりにして、その効率に感心すると同時に、こんな便利ツールが20年前にあればなあ、と残念に思ったものでした。

こんなの作ってみたり。左から本物、キットの石垣、スクラッチです。
キットは橋と石垣がデフォルメされているので、石垣を正確なサイズで作り直した場合、キットの橋は大きすぎて合いません。
いっそのこと橋を足駄塀に替えてみるのも楽しいかもしれませんね。
●おまけ

なんぞこれ
●バカの考え休むに似たり
自分なりに考えぬいた仮説が、現物の出現により、あっけなく覆えされてしまうこともあります。
戦前から続いた姫路城の修理工事は1964年に完了し、世間の注目を集めました。プラモ界でも相原とフジミの二社がキットの開発に乗り出したのです。
50年史DBによると、相原の1/500姫路城は1965年1月発売予定となっています。また、同社の65年版カタログには完成写真が掲載されており、比較的早い時点で開発が完了していた事を伺わせます。
一方、フジミは姫路城大天守を1965年10月、小天守を11月に発売しました。
これだけ見るとフジミが出遅れているように見えますが、この時点で既に建築モデルの経験が豊富だったフジミが、むざむざと他社の後塵を拝するような真似をするでしょうか。
私が思うに、開発を急ぐ相原模型を横目に、フジミは修理工事報告書の発行をじっと待っていたのでしょう。
1/100金閣において復元図面に基づく設計を経験しているフジミだけに、正確な図面の重要性は熟知していた筈だからです。1/100金閣は67年で姫路城より後でしたm(_ _)m
姫路城の修理工事報告書のうち、天守とその周辺を収録した第三集は1965年3月に発行されました。
修理工事では、解体調査の結果に基づいて建物の外観を変更することがあります。変更点は竣工図を見れば分かりますが、時期的に考えて、相原はそれを設計に反映できなかった筈です。
下の画像は変更点の一例、大天守東面の修理前図面と竣工図の比較です(国宝重要文化財姫路城保存修理工事報告書3 図面8、21より)。相原のキットには赤丸部分のモールドがないと思われます。

以上が相原の初代1/500姫路城について私が考えていた仮説でした。
ところが現物を手に入れてみると、

モールドあるやん。なんでやねん。
そっか、図面がなくても現地へ行けば本物を見れるもんなあ。
さらに、組説をよく見ると、1965年8月と書いてあります。相原さん半年以上も何やってたんすか。何か問題が発生したのか、それとも他の仕事が忙しかったのか。
つか、カタログの完成写真はどっから出てきたんすか。
そんなわけで、一生懸命に考えた仮説でしたが、文字通り机上の空論に終わったのでした。
●相原の初代1/500姫路城

相原模型が初めて手掛けた城プラモです。当時の定価は450円。

白壁のランナーが一枚。緑色は樹木のパーツ。

グレーのランナーは屋根瓦など。

鯱やネームプレート、城主の瓦紋などは金メッキ。鯱は本当は灰色なので、こだわる方は塗装して下さいと注意書きがあります。

相原名物のパンフも付属。

初の挑戦だけに石垣には苦労した事と思いますが、石のサイズはスケール相応に出来ており、隅角も意識されているなど、なかなかの表現になっています。
千鳥破風が直線的でギクシャクして見えたり、屋根瓦のモールドがあまり綺麗でないなど、多少の欠点はあるにしても、60年代中盤の国産プラモとしてはよく出来ていると思います。
のちのアイテムに比べて不慣れな印象を受けるのは全体の構成でしょう。
備前丸を含む本丸だけを抜き出して高石垣で囲っており、それ以下は省略されています。
姫路城というより高知城みたいな雰囲気で、姫路城らしい末広がりな雰囲気が今ひとつです。
●その後の相原の姫路城

1973年発売の1/380、相原模型による二つめの姫路城。現在の童友社デラックス版がこのキットです。
備前丸を構図から外し、かわりに東西方向を広く取り込んでいます。これによって一二三段の雰囲気を表現することに成功しています。
この点は初代1/500に比べて優れていると思いますが、そのかわり画像のように南面から眺めたときに本丸の石垣は断面しか見えず、鑑賞上の弱点となっています。
そんなの省略せずに全部作ればいいじゃないか、という考えもありますが、そんな巨大な金型を使うと開発費は跳ね上がると思われます。

1/500姫路城リニューアル版、1977年発売。相原模型から発売された最後の城プラモ。
初代1/500から12年、相原模型の城プラモは姫路城に始まり姫路城に終わったといえるでしょう。童友社のスタンダード版がこのキットです。
備前丸は極端に圧縮されていますが、水平方向から眺めると本丸南面の石垣も再現されており、1/380の弱点が解決されています。
ほぼ同じ構成で同時期に発売されたジュニア名城シリーズの1/800姫路城も、童友社のJOYJOYコレクションで今も現役です。
なお、初代の1/500姫路城がいつまで生産されていたかは不明ですが、遅くともこのキットと入れ替わりに絶版となったものと思われます。
では、初代1/500の金型はその後どうなったのか。
実は河合商会の1/500姫路城が、相原の金型流用だったのではないか。相原と河合に人的な繋がりがあった事を考えると、決して荒唐無稽な説とも言えないでしょう。
・・・そういう仮説を考えたこともありましたが、これも再販によってアッサリと否定されてしまいました。
下の画像は左が相原、右が河合です。備前丸あり、本丸以外なしという構成は似ていますが、全くの別物ですね。
というわけで、この件から俺が得るべき教訓は「現物に誤謬なし」ということだ〜(カイキサンノ コエデ)。
あるいは、「バカの考え休むに似たり」ですかね (´・ω・`) ショボーン
まだ自分的にドイツ軍ブームが続いているので、今度はAFVクラブのコレを作りました。
田宮の8tハーフトラック搭載四連装が1975年の発売ですから、このアイテムを手掛けるのは38年ぶりという事になります。
さすがAFVクラブ、部品の精度は素晴らしく、最後に防楯がパチンと音を立てて所定の位置に収まった時などは鳥肌が立つかと思いました。
●おまけ

またワケわかんないプロジェクトが進んでいるらしい。スケールは1/144だとか。
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