■石屋主人日乗

ここは石屋の主人がプラモに関係あるコトやないコトを好き勝手に書き散らすページです。
以前の「ニュース」を改題。ニュースというと城プラモ界のイベントを残らず網羅するような印象になってしまいますが、そんなマメな事をやる気はサラサラないので。


●今は亡き思い出の模型店・大分県ローカル版 および イッコー1/3世界の軍用銃シリーズ  2013.1.25

大分模型、または大分ホビーとか、そういう名前だったと思いますが、その昔、県庁の近くの遊歩道沿いに小さな模型店がありました。
プラモとラジコンの店で、模型店には珍しく対面販売方式を採用しており、プラモの箱を手に取って物色することはできませんでした。
下校中に覗いたショーケースの中に、ラムジェットみたいなエンジンが付いた大きなラジコン(?)飛行機が飾ってあったのを覚えています。
私が小学校を卒業した70年代前半には既に廃業なさっていたと思いますが、看板の店名は数年後まで消えずに残っていました。

その店で見かけたプラモの中でも特に印象に残っているのが、細長い箱の自動小銃のキットで、あとになってイッコーの64式小銃だと知りました。
そういう思い出のあるキットなので欲しいと思ってはいるのですが、まず滅多に市場に出てこないし、出たら出たで高くて買えないし。
なので、そのかわりという訳でもないけれど、同じシリーズのガーランドライフルやカルカーノライフルを買ってみたり。

photo_イッコー M1ガーランド
ガーランドライフルは、今は亡き国分寺のマジックボックスで見つけました。こっちのデザインは初期箱らしい。

photo_イッコー カルカーノ
カルカーノライフルは今もある大阪のカンスケにて購入。
なぜドイツではなくマイナーなイタリアの小銃が発売されたのか。ケネディ暗殺に使われた事で有名だったせいかもしれません。

photo_イッコー M1ガーランド
パテの跡も鮮やかな作りかけのガーランドライフル。さすが昔のプラモ、スリ合わせは相当に厄介でした。
ご覧のように形状は悪くないと思います。自衛隊で実銃でも取材させてもらったのかも。
なお、キットに付属の金具パーツと紙製スリングはまだ取り付けていません。

photo_イッコー 軍用銃 一覧2
内部までは再現されていませんが最低限のギミックは有しており、図のように遊底を動かしてクリップを装填することができました。
ただし装填といっても単に差し込んでおくだけで、モデルガンやLS1/1拳銃のようなリアルな作動を楽しめる訳ではありません。

photo_イッコー 軍用銃 広告
画像はモデルアート1968年4月号の表3に載った広告。
50年史DBによるとガーランドと64式は1967年11月発売、カルカーノライフルは1968年8月発売、定価各250円となっております。

photo_イッコー 軍用銃 一覧1  photo_イッコー 軍用銃 一覧2
箱の側面には6アイテムが紹介されていますが、実際に発売されたのはM1ガーランド、64式、カルカーノライフルの3種類だけのようです。
ディスプレイキットとしてはなかなか面白いシリーズでしたが、いまひとつ遊びの発展性に欠けていたせいか、これ以上の展開はありませんでした。

今日ではドラゴンが自社の1/6アクションフィギュアに使える火器や装備品をプラモデルで発売しています。
後知恵に過ぎませんが、イッコーも当時流行のGIジョーに使えるスケールで開発していれば、また結果が異なっていたのかもしれません。

というわけで、数十年ぶりに大分模型のことを思い出したので、ついでにイッコーの軍用銃についてまとめてみました。
待てよ、考えてみると、長浜小学校から舞鶴町に帰るのに、どうして県庁の前を通っていたんだろう。
ははあ、さてはプラモを見たくて道草を食っていたな。


●偵察戦車  2013.1.18

なぜかドイツ軍の虫が騒ぎ始め、2cm揺動砲架がマイブームとなってしまいました。
そこで、ドラゴンの偵察戦車38(t)を買ってみました。上部前面の段差は間違いだと指摘されている例のアレです。
この件を自分なりに検証してみましたが、巷で言われるように「前面は面一、側面に切り欠きがあり段差が見える」に間違いないものと考えられます。

追記
昔から何となくコレを搖動砲架だと思っていましたが、どうも勘違いをしていたようで、正しくは251/17などが載せているSchwebelafetteを指すらしい。
250/9について調べてみると、前期型の床についてるのがSockellafette、後期の砲塔からブラ下がってるのをHängelafetteというそうです。
それぞれ台座砲架、懸吊砲架とでも訳せばよいのか。したがって偵察戦車38(t)のは後者です。

photo_sd.kfz140/1
対策ですが、厄介な修正はゴメンなので、出来る限り簡単にツジツマを合わせることにします。
上部車体パーツH27には、前面装甲を位置決めする突起があります。これを削り取れば前面装甲の位置を後退させ面一にすることができます。
側面の断面をわずかに見せて切り欠きの雰囲気を出します。

photo_sd.kfz140/1
そうすると上部車体が1mmくらい短くなり、下部車体と合いません。
下部車体の切り欠きの内側を写真のように削り取れば、すんなりと上部車体を取り付けることができます。

photo_sd.kfz140/1
上部車体が前進したので、今度は後部上面との間に1mm弱の隙間ができますが、これを本気で修正するのは大仕事です。

photo_sd.kfz140/1
シートでも載せて誤魔化してしまいましょう。

photo_sd.kfz250/9
ああ、そういえばコレもあったな。
いわゆる積み滅ぼしの観点からもセッセと作らねばなりません。


●尾高産業 1/8マイクロ兜シリーズ  2013.1.11

photo_尾高産業のマイクロ兜
昔懐かしいキャラメル箱の50円プラモです。海洋堂の激戦兜コレクションを思わせるサイズで、たくさん集めてズラッと並べるのに適しています。
50年史DBによると発売はNo.1のみ1967年3月、それ以外は4月となっています。
先行する相原が1/4、コグレが1/3のスケールを選択したせいか、後発のオダカはデラックス1/2鎧兜と、この1/8マイクロ兜と、両極端なスケールでシリーズを展開しました。

●アイテム一覧

photo_尾高産業のマイクロ兜
No.1 八幡太郎義家、No.2 源九郎義経、No.3 上杉謙信、No.4 武田信玄、No.5 織田信長、No.6 豊臣秀吉、No.7 徳川家康、No.8 毛利元就

photo_尾高産業のマイクロ兜
No.9 前田利家、No.10 井伊直政、No.11 加藤清正、No.12 真田幸村、No.13 本多忠勝、No.14 伊達政宗、No.15 木村重成、No.16 山中鹿之助

全部買い占めても800円。でも当時なら800円あればタミヤのキングタイガーを買ってお釣りが来たので、そう考えると微妙です。
戦国時代の変わり兜が多く、なかなかマニアックなアイテムも含まれています。
太平記ネタが無いのは不思議。戦前の皇国史観の影響が残っていたのか、他社の兜プラモのシリーズには必ず楠正成が含まれており、尾高も1/2シリーズでは発売していました。

●箱

photo_尾高産業のマイクロ兜  photo_尾高産業のマイクロ兜
初期の50円箱。このバージョンは立物などのランナーが金メッキ、鉢と錣のランナーは銀メッキでした。

photo_尾高産業のマイクロ兜
80円の後期箱。4個一組でシュリンクされた300円のセット商品をよく見かけました。立物は金メッキですが、鉢と錣はメッキが省略され黒い成形色のままでした。

●中身

photo_尾高産業のマイクロ兜 謙信
No.3 上杉謙信
前期版なので金銀メッキとなっています。
前立は実物をそこそこ写していますが、二重錣は再現されていません。

photo_尾高産業のマイクロ兜 義経
No.2 源九郎義経
星兜鉢はそれなり、錣も小札のモールドがありませんが、威毛と菱縫は意外とうまく表現されています。
鉢や錣は成形色の黒です。前立、据紋、八幡座などはちゃんと別パーツで金メッキ仕上げとなっています。
オダカの後期版と言いたいところですが、実は東京シャープの再版物です。金型改修でネームプレートが追加されています。

photo_尾高産業のマイクロ兜 清正  photo_尾高産業のマイクロ兜 清正
No.11 加藤清正
長烏帽子は筋彫りこそありませんが、形状は写実的に再現されています。
錣は実物同様に板物を素掛威としており、なかなか良く出来ています。

似たような鉢や錣の場合、ランナー単位で共用している場合があります(例:シリーズ1と2、3と4)。
ただ、この点は当時、より大スケールのキットでも同様の状況でした。
60年代の50円プラモということでチープな印象を持っていましたが、改めて見直すとオヤッと思うような表現も散見されます。やるじゃないかオダカ。

●再販

photo_尾高産業のマイクロ兜
こちらは東京シャープの再販物、尾高のキットに紐、革所のシール、雛壇のついた塩ビ製透明ケースを追加したセット。定価1000円、発売時期は不明。
No.1は義経、義家、謙信、信玄、清正、木村重成。No.2は家康、秀吉、信長、毛利元就、本多忠勝、伊達政宗。
これ以外のセットや単品売りは確認できません。前田利家、井伊直政、真田幸村、山中鹿之助は再販されなかったようです。

●「上杉謙信 飯綱権現の兜」入手の顛末

その日、私は仕事で北関東のある町を訪れました。
予定より小一時間ほど早く到着したので、いい感じに古びた瓦屋根が並ぶ町並みを散策することにしました。
駅から10分ほど歩いたところに老舗らしい人形店があり、売り場の片隅にプラモのコーナーが見えたので入ってみると、かなり珍しい大物を発見。

さて困った、こんな大きなプラモを抱えて客先へ参上するわけにはいきません。夜は夜で深夜まで飲み会が続くと思われるので、行動の選択肢は限られてきます。
何らかの手段で今すぐに買ってしまうか、あるいは後日再訪するか。しかし今までの経験からして、こういう場合の後日は、誰かに先を越される可能性が極めて高いのです。
どうするか、落ち着け、考えるんだ。

『やはり今日は無理か、いや大丈夫だ、駅前のコンビニから宅急便で自宅に送りつけ、あとは何食わぬ顔で客先へ向かえばよい。まだ時間はある、バイナウ!』

意を決して購入。このとき店番のおばちゃんがレジの下から引っ張り出し、オマケとして付けてくれたのが、この兜のプラモだったのです。

ところが、ここに思わぬ伏兵が待ち構えていました。おばちゃんのトークが始まってしまったのです。大物が売れて嬉しかったのか、実に調子よくおしゃべりが続きます。
これはまずい、お客様との約束の時間が刻々と迫ってきます。
想定外の展開に冷や汗をかきましたが、何とかギリギリの時間でおいとまして、計画通りにプラモを発送することができたのでした。
もう10年ほど昔の話です。おばちゃん元気かなあ。


●謹んで新春のお慶びを申し上げます  2013.1.4

photo_フジミ1/850ゴールド姫路城
本年もご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

さて、本日のお題はフジミ1/850ゴールド姫路城です。
現在は生産されていませんが、フジミの名城シリーズにも昔は写真のようなゴールド版がありました。
相原のゴールド版とは異なり、フジミのキットは石垣まで金メッキされていたので、完成品はこのように明るく華やかな仕上がりとなります。

フジミは1974年から翌年にかけて、建築モデルシリーズの一環として犬山城、熊本城、小倉城を発売しましたが、この後しばらく城から遠ざかります。
数年のブランクを経て、1981年に天下の名城シリーズとして城プラモを再開、1/850姫路城をはじめ、江戸城(1981年11月)、大阪城(1982年6月)、名古屋城(1983年2月)を発売しました。

姫路城が発売された1981年当時、城の中でも一番人気のアイテムだけに、既に次のような他社のキットが市場に出回っていました。
  童友社(相原の金型) 1/380、1/500、1/800(ジュニア)
  河合商会 1/500
  東京シャープ 1/900

これらの先発キット、特に安定して市場に供給されていた相原のアイテムに対して、いかに伍してゆくか。その点は当然考慮されたものと思われます。
フジミが選択した方針は、建築モデルシリーズの末裔にふさわしいストイックなもので、デフォルメが大胆な相原のキットとは好対照をなしていました。
最大の特徴は、備前丸を含めて縄張りを可能な限り省略せずに再現したことで、このためスケールは1/850と、既存キットの中では小さめの縮率となりました。
天守曲輪の不定型な平面形を再現しているのもポイントで、これは現在入手できるプラキットの中では唯一です。

平面をよく見ると、三国掘から上の石垣を再現しているようですが、多少の省略はあります。
このキットをベースに、土台を拡張して乾曲輪や上山里曲輪を作り、原生林を植え込めば、姫路城本来の一二三段の美しさをかなりの部分まで再現できそうです。
そういう意味でも小さいながら中々のポテンシャルを秘めたキットと言えるでしょう。

ウィークポイントは石垣で、スケールが小さいためか、単純なパターンの繰り返しで実感に欠けるモールドとなっています。
これを簡単に修正できる方法を発明した者には金貨十枚を出すよ(←ウソ)。
どうしたものか、彫るのも面倒だからなあ、極細のコピックで描き込んでみようかな。

製作上の注意としては、一体成型の小さな櫓は抜き勾配が強いので、壁面を垂直に削ると見栄えがよくなります。



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