■石屋主人日乗
ここは石屋の主人がプラモに関係あるコトやないコトを好き勝手に書き散らすページです。
以前の「ニュース」を改題。ニュースというと城プラモ界のイベントを残らず網羅するような印象になってしまいますが、そんなマメな事をやる気はサラサラないので。
先週の続き。何がそんなに疲れたのか、旅行の中身をざっと説明します。
●1日目 3/13(火)
夕方、大分港で神戸行フェリーに乗船。船中泊。
●2日目 3/14(水)
06:35、神戸着。
夜までたっぷり時間があるので、法隆寺、阪堺電気、日本橋グリーンマックス、ボークスを廻る。カンスケにも行きたかったが大荷物は運べないので断念。
23:27、「きたぐに」で大阪発。
●3日目 3/15(木)
08:29、新潟着。磐越西線で会津若松へ。
まちなか周遊バス「あかべぇ」乗車、飯盛山下車、さざえ堂を見学。
ふたたびス「あかべぇ」に乗り、会津若松城で下車。城を見学。
歩いて只見線七日町駅前の阿弥陀寺へ向かう。御三階を見学。
七日町駅から会津若松経由で喜多方へ行き、喜多方ラーメンを食べる。
会津若松泊。
●4日目 3/16(金)
会津若松から18きっぷで郡山→小山→下館。なぜ下館かというと、北関東の私鉄にも一本くらい乗りたかったので。
下館から関東鉄道常総線に乗る。キハ35の姿は既にないが、沿線風景は変わらない。
守谷でつくばエクスプレス に乗り換え、北千住からJRで日暮里→赤羽へ。
懐かしの東京で模型店めぐり開始。赤羽ヤマナカ→西荻ナカマ→下北沢サニー。もっと廻りたかったが時間的にこれが限度。
ナカマ模型では、いつもながら
小鷹和美 小坂勝巳さんの1/24Bf109Eに目を奪われる。受験で上京した時が初見だが、もう33年も昔の話だ。
上野泊。
●5日目 3/17(土)
東京をあちこち回り、また、仕事でお世話になった方と久々に再会。
秋葉原。ソロモンよ私は・・・らっ、ラジオ会館が無い! いや知ってたけど、やっぱり自分の目で確かめるとショックを受けます。

在りし日のラジオ会館内部、何故かコレが最も印象に残っている
夜は横浜の先輩宅にごやっかいになる。事前に連絡しておいたので、悪友一名も既に到着していた。香港在住の一名がいないのは残念。
●6日目 3/18(日)
先輩宅で休息。
本格的に疲れるのは明日からだ。何故なら、18きっぷで、つまり鈍行と快速のみで、東京から大分まで帰るから。
これは一度やってみたかった。成功すれば自己新記録。
●7日目 3/19(月)
横浜から東海道線をひたすら下って名古屋まで。
あちこちの支線や私鉄がオイデオイデをするので素通りがつらい。大井川鉄道の鉄橋が見えた時なんかギギギって唸った。
豊橋でも飯田線に乗る余裕はないが、かわりに豊川いなりを買う。甘辛い独特の味付けが相変わらず美味い。
名古屋からちょっと寄り道、桑名にてナローゲージで有名な三岐鉄道北勢線に乗り終点の阿下喜へ。徒歩で三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅へ向かい、同線で近鉄富田へ。
徒歩でJRの富田駅へ。関西本線→草津線→東海道本線と乗り継いで相生着。
相生泊。
●8日目 3/20(火)
相生から尾道へ。ガウディハウスを見学。
あとは山陽本線と日豊線をひたすら下って大分まで帰る。22:36到着。
疲れたなんてもんじゃない。二度とやらんぞ。
●成果

二重らせん構造で有名な会津のさざえ堂。「俺は塔を登っていたと思ったら、いつのまにか降りていた」という騙し絵みたいな建物。雪覆いが残念ですが、冬の北国では仕方ないですね。
右は内部。上り斜面の天井が下りの床になっている。木造建築って凄いな。

尾道のガウディハウス。かっけえ。何をどうすればこんな形を思いつくのか。

地形に合わせたらこうなった、という事なんでしょうが、素晴らしい造形です。ウネウネがたまりません。
本州の瀬戸内海側は領家変成帯のド真ん中だけに石材は花崗岩。この手のものは関東ではもっぱら凝灰岩の石垣か大谷石擁壁。所変われば品変わる 。
いや、そんな事より問題は取材の成果ですね。ふうむ、こんな感じかのう。
●夜行急行「きたぐに」と春の18きっぷ その1 2012.3.23

大阪-新潟間を走る夜行急行「きたぐに」が、さる3月17日をもって定期運行を終了しました。世にも珍しい寝台電車だけに、この機会に乗っておかねばと、3月14日の便に搭乗いたしました。
ただ、このプランには重大な問題点がありました。すなわち、ミッションをコンプリートした暁には、何の用もないのに新潟へ辿り着いてしまうのです。どうしろと。
そうだ、会津若松城に行ってみるか。

会津若松城では吹雪に遭遇。九州人が来たというので会津の国つ神が怒っているのか?オレは大分県人、府内藩だ関係ない、それどころか西南戦争では薩摩とケンカしたんだ。だから助けて。
七日町まで歩いて阿弥陀寺の御三階も見る(写真上)。会津若松城の櫓を移築したもので、戊辰戦争で消失した本堂のかわりに使われていたとか。境内には牙突さんの墓もありました。
あいかわらず魔女のバアさんに呪われたような吹雪。寒い。死ぬ。
さすがに疲れたので、続きはまた今度。
ここんとこドイツ軍づいてるので、勢いにまかせて組んでみました。使用したキットはD型と潜水戦車のコンパチ版です。
当時流行の過激に凝りまくった部品分割で、サスなんかグリグリ動きます。折角なのでカステンの可動履帯を付けてみました。
組説のイラストは細部が分かりづらい場合もあるので、大日本絵画のアハトゥンク・パンツァー第三集を手元に置いておくと色々捗ります。
このバージョンは基本パーツの精度が初版より多少は改善されていますが、箱組みには相変わらず神経を使います。
パーツが変形していれば修正し、基本形が出来上がるまでは慎重に仮組しながら作業しました。
背中は猫背に、フェンダーはビシッと一直線に、そういう当然なことも常に確認しながら組立を進める必要があります。
潜水戦車用として、ヘリンボンパターンの滑り止めがついたパーツも用意されています。
このパーツを使って普通のD型を作る場合、車体後部にフタの留め金がモールドされていないので、プラ板などで再現するとよいです。
その他、組説の記載漏れなどがありますので、気づいた点を以下に図示します。

1. フタの留め金を作るとよい。
2. フタにE-2またはPE-11を接着。
3. 溝を埋める。
4. アンテナケースの支柱を作るとよい。エッチングの切れ端と余ったE-6で簡単にできます。裏に伸ばしランナーの輪切りを貼り車体から浮かせて取り付けます。
5. 窪みにE-6を接着。
いろいろ書きましたが要するに、
諸君、このIV号D型は確かに手が掛かる
だが、かつてエアプレスやマケットを完成させた諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している
ならば我らは諸君とこのキットで精強無比な装甲集団となる(以下略)
第二次マンシュタイン計画、状況を開始せよとか、そんな感じで。
厳島神社の再販を祝して、名所シリーズのおさらいをしてみました。

フジミの日本列島名所シリーズは1975年から76年にかけて発売された建築物のキットです。
アイテムは札幌時計台、五大堂、浅草寺、登呂遺跡、京都御所、金刀毘羅宮、厳島神社、大浦天主堂の8種類、定価は500円でした。
この価格は当時の感覚でいうと相原・緑のジュニア名城シリーズと同じ、田宮1/35ならホルヒや25ポンド砲と同等の金額です。
フジミ模型は1960年代の前半から鹿苑寺金閣などの建築モデルシリーズを展開していましたが、これらは比較的高価で大きなサイズのキットが多く、シニア向けの企画であったと推測されます。小型で安価な名所シリーズは、建築モデルシリーズの入門用、年少者向けといった性格の商品として開発されたと思われ、教材的な付加価値も考慮されていました。その性格を表現する解説文を同梱のパンフから以下に引用します。
日本列島を8つの地方に大別し、地方別に有名な建築物を選び、その地方の立体地形(起伏付)とを組み合わせて1つのキットにしました。
説明書には、その地方に含まれる各県の県庁所在地、市章、県花、県鳥、面積、歴史、出身有名人、歴史的建造物の説明が記されています。
地方別に大別された立体地形8つを組み合わせれば、1/4,500,000の日本列島が出来上がり、各説明書とを併用すれば、日本の地理、歴史等の勉強が楽しめます。

インストはA3サイズ二つ折と、キットの割には大きなものでした。
四面のうち表の一面は建物や地方についての説明という教材的な内容となっており、もう片面には組立説明が載っています。
画像は浅草寺のインストから抜粋。

裏面の見開きを使って「フジミ建築モデル分布図」なるものが掲載されています。
教材にもなり、また当時はプラモの販促ツールとしても機能したと思われます。
そして今日のプラモ考古学者は「75年の時点でこれだけ揃っていたのか」と研究する訳ですね。

上は大浦天主堂に付いてくる九州のパーツ。シリーズを全部集めると日本列島になります。
折角だから地理の勉強でもしてやろうと思ったのに、あいにくと札幌時計台が行方不明で、残念ながらフルコンプはできませんでした。

厳島神社のパーツ構成。一枚に成形したランナーをばらして、屋根の部分に吹付塗装してあるのが分かります。
塗装の必要がないように配慮されているわけで、当時は建築モデルシリーズにも同様の部分塗装済みキットがありました。
価格にやや割高感があるのは、この工程も一因かもしれません。
天主堂の窓など、細部の表現には粘着シールが使われていました。
これも塗装が不要となる配慮で、また水転写デカールより扱いが容易なため、年少者やマニアでないユーザにとっては親切だったかもしれません。
アイテム選択について考察するには、当時発売されていた建築キットを特定しておく必要もあるでしよう。
フジミの建築モデルシリーズは、興福寺五重塔を除いて既に発売済みでした。同シリーズで発売済みだった建物は名所シリーズには含まれていません。
童友社の庭園シリーズは1981年の発売なので、浅草寺は名所シリーズが先発でした。なお庭園シリーズは現在ではJoyJoyコレクションに編入されています。

これらのキットは1979年、静岡ホビーから「日本ふるさとシリーズ」として2種セットで再販されました。静岡ホビーの所在地はフジミと同じで、何らかの理由で別ブランド名を使用したようです。
アイテムは札幌時計台/五大堂、浅草寺/登呂遺跡、京都御所/金刀毘羅宮、厳島神社/大浦天主堂。定価1200円。
私が把握している限り、これ以降は長年にわたって再販がありませんでした。

上は登呂遺跡の組説。細かく出来ていますが、それもそのはず、フジミ模型から登呂遺跡まではGoogle Mapでみると500mと離れていません。本物をバッチリ取材できたに違いない。
このキットは日本建築の祖形を再現している点で、建築プラモとしてたいへん重要なアイテムだと思います。建物シリーズとしての再販を熱烈希望であります。

かっくいいー。ただし写真は登呂ではなく佐賀県の吉野ヶ里遺跡です。

屋根をちょっと大きくして壁をつければ、箱木千年家のできあがり。
・・・と、そこまで言い切ると単純に過ぎますが、箱木家の大きな屋根や低い壁を眺めると、やはり竪穴式住居の遺伝子を感じてしまいます。
一方、高床式倉庫は神明造の神社にその面影を留めています。
●追記
2012年9月現在、金刀比羅宮を除く名所シリーズ7点は建物シリーズとして再版されています。
金刀比羅宮もいったんは再販が告知されましたが、惜しくも中止となりました。
フレーム表示へ
石屋模型店TOPへ