■石垣プラモ年代記


●日本初の石垣プラモは板キットだった

山田の大阪城、1961年8月発売。これが日本初の城プラモというのが定説である。当然、日本初の石垣プラモという事になる訳だが、その一番の特徴は一体成型ではなく板キットだったことである。

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古いキットにも関わらず切石の布積が上手に表現されている。

●一体成型の登場

1965年になると相原とフジミが城プラモに進出する。
まず相原の1/500姫路城が1月に発売。フジミの1/300姫路城は大天守が10月、小天守が11月に発売され、両方買って組み合わせると天守曲輪を作ることができた。 いずれも石垣は板キットではなく、箱型に抜いた側面にモールドを施したものだった。
余談だが、1965年の相原1/500姫路城は現在では入手できない。童友社の1/500姫路城は相原が1977年に開発したリニューアル版である。

この後、相原、フジミ、尾高などのメーカーが多くの城プラモを発売、その石垣部分は一体成型が主流となった。作り易さの点では進歩だが、傾斜した面にモールドを施すため、どうしても彫りが浅くなってしまう。 またプロポーションの点でも、おそらく金型コスト削減のためだろうが、一部のキットでは底部平面を狭くアレンジする傾向が見受けられる。結果として側面の傾斜は険しくなる。
ただ、当時はそんなうるさい事をいう城モデラーなど存在しなかったようで、この点がさほど問題視されることはなかったようだ。

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上は尾高産業の1/500熊本城、1966年11月発売。たいへん古いキットだが、梨地による石垣表現は既に確立されている。
地下の土間を再現しているのが面白い。小天守東面の階段は後のフジミ製キットと同様のアレンジとなっている。大天守の天守台は実際より傾斜が急である。

●板キット再び

フジミの1/200二重橋、1967年8月発売。建築プラモとしては異色のアイテムで、また石垣プラモとしても板キット形式を選択している点が珍しい。

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石垣パーツは算木と平石が表現され、モールドは明瞭な筋掘りとなっている。古い割にはよくできたキットだった。
この形式が城プラモの石垣にも導入されていれば面白かったのだが、残念ながら実現しなかった。当時の技術ではライトユーザ向けのキットとしてまとめることが難しかったのかもしれない。

●21世紀の石垣プラモに望む

金型の開発環境がCAD/CAMに移行し、昔に比べるとプラモの嵌合精度は飛躍的に向上している。もはや石垣の一体成型にこだわる必要はないのではあるまいか。素人考えだが、金型が浅くなるので、もしかすると費用面でも有利ではないかと思う。
板キットでも作り易く、プロポーションは完璧。平石は石積みの特徴が再現され、隅角は算木積みがピタリと合い、モールドは墨入れできるくらい深い。そんな石垣プラモの出現を待ちわびている。




参考文献 : 「日本プラモデル50年史 1958-2008」  日本プラモデル工業協同組合編 2008.12.15
2011.4.14更新  石屋模型店TOPへ